健康は、失って、初めてその貴重さがわかるものだ。
溺れかけでもしない限り、人は空気の有難み が
わからないように、病気になって初めて、
健康であることの幸福に気づくのだ。
あたり前であることに感謝しない自分。
足ることを知らず、
暴走する欲望電車に乗っていた自分。
思わず知らず反省の涙が頬を伝うのもその時だ。
家族の有難さ、肉親の絆の大切さを、
思い知らされるのもその時だ。
病気も考えようによっては、「悟りへの門」である。
あなたの魂が、飛躍的に向上するチャンスでもある。
『超・絶対健康法』まえがき
失ってみて気がつくことは多い
いつの間にか、自分の意に反する人がいると
苦しくて切り離したくなる・・・でも、そうすると、
こだわりが多い分
結局独りぼっちになってしまう。
周りには誰もついてこれる人がいなくなる
絶対に譲れない思いはある 、
それが自分というものなんだ。
しかし、すべて分かって貰う事は無理。
寛容な気持ちをもって、
自分のこだわりを「理解してもらえない」
という、心は「理解しないといけない」か・・・
自分と、他人は違うということを、
思い知らされることが
どこかもの悲しい・・・・
でも、長くうまくつきあっていくには
妥協が必要なのか・・・
・・・だけど、失ってしまったら、取り返しが付かないと言えば
日本という国もそうだ。
これは妥協は許されない。
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