信念は、神念だろう
自分としては、精一杯やる。惜しみなく、全生命を懸けるまで、
自分としては、精一杯やる。惜しみなく、全生命を懸けるまで、
人や物事に、あたって見る。そうしてみて「そこまでした自分」 として自分を褒め、
そして諦めることもできる。 ただ、その何処まで、というと
結構ハードルが高いようで・・・・ そこまで行こうと努力しているうち、
心はぼろぼろになり、 諦めざるを得ない状況になる。限界を超えたぐらいから
もう、くいが残らない想いとなっては、いく。 恥とか外聞とか、一時のものだ。
言うべきことは言う・・やるべきことも。 あの時やっておけばよかった~と
後で悔やむくらいなら、 そう思うことになりそうな事もやる。
人は死ぬ時の、心残りが沢山あるほど、 悔しいものはないだろうと思う
きっと亡くなる時は、燃焼しきったといいたいから・・・・
政治家のぽろっと出る問題発言は、政治が公のものという 意識が低く
”自分のための政治家”になっているからで、 うかつな発言も出てしまうのではないか。
本来立場を考えたら身も心も引き締まり、口にする言葉にも 神の御加護が頂けると思う。
命かけても、何が何でも変えようという強い信念があって 初めて本当の情熱がわき
勇気が生まれると思う。 自分の心に嘘偽りのない、魂の波動である。 愛とか真実とか
正義とか、神々も宿る言霊がある。
そして利他の想い、「信念」にも神々は宿り、 正しく導いてくださると思う
その想いこそ、高次元の「神の念」に繋がって、 多くの人の心を動かし、日本を・・・ 世界も
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