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2010年10月13日水曜日

2010,10.11「宗教の復活」本会場愛知体育館

2010,10.11「宗教の復活」本会場愛知体育館

 衛星会場3400か所
日本全国の皆さま、世界で聞いておられる皆様こんにちは。
今日は愛知県体育館で比較的大きな講演会が出来ます事を、
またいい天気にも恵まれましたことをとてもうれしく思います。


今日のテーマは「宗教の復活」ということです。大きなテーマ
でもありますし、今、私の願うところ、幸福の科学の願うところ
を率直に述べるということでもあります。


私たちの使命はこの20数年間の活動の中において、毎年毎年重くなってきていると考えます。


最初は小さな範囲の活動でしたが、今は日本全国は当然視野の中に入っておりますと同時に、世界にも目が向いております。

今から20数年前に、正確に言えば活動を始めたのは1986年ですから
24年前ということですけど、世界の人々の幸福に対して責任を持ちたいと思うまでは、志は届いてなかったと思います。


しかし今は違います。日本全国の皆さま、そして、全世界の皆様に対してメッセージを伝え、未来の幸福への道を指し示すことこそ、私たちの(後世への?)使命であると考えております。

この24年間の活動の中において常に正しさとは何かということを考え続けてまいりました。


その時点での世間の常識とか、その時点での文化とか、人々の多数の考え方、そういうものにとらわれることなく、正しいと信じることを言っていました。
時代はゆっくり後からついてきたかというように感じられます。
むしろ、この国において責任を持つ言論を、主張することができる
人が数少ないという状態においては、自ら喜んでリスクを持って発言しないといけないと思います。


さらに申し上げれば、この国の国民に対して責任を持ってるはずの政治家が、選挙で当選することを目的とするために本音を語ることができず、世論に迎合してオピ…に陥ってることに対し大変残念に思います。


マスコミ主導型の政治に間違いがあると指摘して来ましたけど、
最近では考え方が変わってきて、マスコミが悪いと言ってるだけでは解決しないと感じるようになりました。


そのもとにあるもの、人間の考え方そのものを変えるように努力し、正しさとは何かを訴えないと使命を果たしてないんだと感じるようになりました。


マスコミが与える影響は大きいけど、根本は価値判断だと思います。その価値判断のもとにあるのは何が正しいかということだと思うんです。何が正しいかということは過去は振り返ったらわからないわけではないですが、現在ただ今、未来に関して、何が正しいかを断言するのはとてもとても難しいことであろうと思います。その意味において、マスコミを責めるつもりはありません。


これは政治家が本来の使命を果たせてないなら宗教家がやはり先陣を切って責任をとり、使命を果たすことを考えております。
何が言いたいかというのが少しずつお分かりになってると思いますけど、今日は日本3400か所で、衛星を見ておられます。海外にも伝えられてるので世界数十カ国聞いておられる人がいます。


その中では私たちが言うことを素直に聞ける方、若干立場が違う
と感じられる方もあろうと思います。


しかしこれから私が述べることは日本においての国師としての立場の意見です。国師大川隆法、何も恐れることなく正しいことを述べるつもりです。


それが、日本一国のためでないことを明言すべく、国師のみならずワールドティーチャーとして、世界教師の立場で、世界はこういう方向へ向かって行くべきだと述べていきたい。


その中では一部の国家の中の現在の政治において、やや反対に聞こえる場合もあるかもしれません。しかし私が言うことはそれぞれの国の人が幸福の未来を求める権利があるということを原理として話すということを思う次第であります。


まず直近の話から申し上げます。非常に時事的問題でありますけど、最近では尖閣列島の問題が日本でも話題になってますし、諸外国からも注目を受けております。
国土の領有権の問題ですね。もちろん国土の領域をめぐっての紛争は各地であるから、よくある話を取り上げて大きい話にするのは


問題ありますが、問題にするのは尖閣で起きた漁船の拿捕、船長の逮捕、検察庁による取り調べということが起きてる段階の中で、日中間で摩擦が起きたことの分析をひとつ、宗教家の立場でいうべきかという風に考えております。


私たちが問題としているのは、単に漁船の活動や、漁業権の問題ではありません。もっと大きな問題です。人類の未来をどう設計
するかということにかかわっているということです。ここ2,3年
言い続けてますけど、超大国のアメリカが様々な経済問題、世界での軍事活動の結果、衰退あるいは自分たちの国の使命を後退させてるように見えます。そういう中において、一方アジアで中国が超大国としてのし上がってきて、世界史の表舞台でスーパースターになるべき主役が代わるかどうか、分岐点に立ってると思います。


その中で日本が何ができるか、何を成すべきかが大きな問題だと
思います。


先ほど中国では初めてノルウェーのノーベル賞委員会から
(ノーベル平和賞に)政治思想家の劉氏が受賞いたしました。
政府により投獄され11年も経っているそうです。彼の主張している内容は、共産党の独裁が宜しくない。もう少し複数の政党で民主主義的にしようというのが、自由な国に還るべきだと主張したことが、反逆罪に当たる革命的行動に当たると称し、刑務所に入れられた。


ノルウェーが判断間違えてはいけない、中国の圧力に屈しては
いけないということで、中国では犯罪者に当たる人に賞を与えたと言っていた。実際劉氏の受賞を伝えるテレビで、日本の国営放送であるNHKのニュース、およびアメリカのCNNニュースでノーベル平和賞を伝えるニュースが突然ブラックアウトし、真っ暗になって国民に知らせないということが起きています。


知らせるべきニュースでありましょうけど、知らせない事件が
起きました。


これを見て尖閣と結びつけると、まだまだ日本のマスコミや
民主党政権与党、財界も甘い考えを持っていたとよくわかります。
経済的繁栄を求めてる国だからもう同じ土俵に立ったと理解して
たんじゃないかと思いますが、まだ一党独裁国が厳然として隣国
に存在するとわかりました。本質は北朝鮮と中国が変わらないと
思います。ノーベル平和委員会も言っていましたけど、中国も
大国になったのだから大国の義務がある。批判を受ける義務がある。


大きな国は周りに対して影響を与えるのだから批判を受ける義務
があると言った。勇気ある方どうだったと思います。中国にとっ
ては内政干渉、西側の押しつけという反発を成されてるんだと
思います。


日本という国においても考えてみても同じような問題があると思
います。日本国民に対して真正面から「あなたは宗教を信じてますか」ということを問いかけたら「信じてます」と正面から返せる人は30%くらいだろうと言われている。70%くらいの人は信じてませんという。


習俗として、文化のレベルとして、正月に神社にお参りに行くとか、お盆にお墓参りに行くことがあっても、宗教を信じてるということではない。


…であるとするなら日本の国民においても多数決を取ったら宗教的ではない意見が多数を占めるということを意味している。それがどういうことかというと、何らかの価値判断、何が正しいかということ。
要するに人間をこえた世界、神や仏の世界において正しさがあってそれに向かって努力すべきだという考えを多数が持ってないということを意味している。


30%は信じても、結論としては常識として、神仏は信じない、あの世は認めない、宗教認めないという考えが多数を占めてるなら、それは政治においても教育においてもマスコミにおいても、多数が支持するということ。


この意味において日本の発展繁栄が外見的にあるように見えても、中国のものとそう大きく変わらないかもしれないと考えなけれ
ばならないと思うんですね。人間心をこえた正しさあると思えば人は謙虚になり、そのこの世の勢力構想や戦いをこえて永遠不変的正しさを求める崇高な心を持ち続けること出来るけど、なければこの世において長いものにまかれろ・・・通訳の方難しいですね。


強い者に弱い者は従う方が幸福だと考える、得になるという考えが当たり前の世の中になる。勇気を持って提言し世の中を変えようとする人が少なくなっていくと思う。現状できた政府、法律とかを


乗り越えて未来社会を作るために行動する、勇気の行動するためにはこの世を超えた価値観を持たないと勇気は出てこないんです。


日本であれば150年近い前、吉田松陰という人がいて、アメリカからペリーの黒船艦隊がやってきた時、単独で船に乗り込んで、他の条件も加わって死刑になりました。今は尊敬されてますけど、吉田松陰が船に乗り込んでアメリカを見てこようとしたことに何の間違いがあったでしょうか。


明治において明治維新で龍馬は人気があるけど、土佐藩、高知県を脱藩して、脱藩浪人として日本の新しい国造りに活躍したけど、脱藩したのは犯罪だとして追いかけられる。おかしいでしょう。


今から考えたらおかしいけど、その時はそうだった。


経済もそう、後から見たらおかしいことにどう見てもおかしい考え方にとらわれてることが相当あると知らないといけない。その中から


未来を拓いていくのは、勇気ある一部の方々である。勇気ある方々は地上を超えた霊天上界、仏、神の心を心としてやらなければこの世での常識や法律の力を乗り越えて、行動するのは難しいだろうと思うんですね。


私は日本国憲法が制定された時、日本国が再び戦争に巻き込まれることがないように平和国家を目指したのは尊いと思います。


しかしながら日本国憲法制定時においては日本一国は侵略的な国家であって1億人総ざんげ、総反省で作られ、日本以外の、世界は平和を愛するいい国、日本だけ懺悔という感じで作られた憲法だと思います。


現実には北朝鮮を見たら国民は軍事、独裁によって経済的にも圧迫され、不当な人権障害(?)おきて、国から立ち去る人が後を絶たない。日本人拉致したのにそれを取り返すことさえできない。


それを何も恥じることがない。無法状態。国内法でしか考えてない。世界の国際法通用しない国家であるとよくわかった。日本の首相以下残念ながらきちんとした意志を貫けなかったのは残念でしたね。






アマミさんから転載 (*´∇`*)






 [②へ続く]














(^▽^;) 

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